「聖書の学びの会」2023年3月8日
法亢聖親牧師からのメッセージ
奨励題 「食べることができるように」 雅歌4章9節~15節
前回は、雅歌の全体を、解釈する上での原則を押さえました。今回は、雅歌の個々の箇所を読んでいくための原則を確認いたしましょう。
まず、考えなければいけないのは、話者です。雅歌は、独白と対話の形式で、編まれていますので、その内容を理解するためには、誰が誰に対して語っているのかを捕えなければなりません。
男性なのか、女性なのか、それとも「エルサレムの娘たち」(1:5ほか)と呼ばれる第三者なのか。初見では判断できないかもしれませんが、段落の区切りなどに注意を向けながらつかんでいくのです。もしも、迷う場合は、一つの例として新共同訳聖書を参考にしてみるとよいかもしれません。新共同訳では、文のかたまりごとに話者が示されていますので、理解の助けになります。これはあくまで翻訳者の解釈に基づくものですが、ある程度文法的な裏づけがあるものですので、ほぼ信頼できます。
次に考えなければならないのは、流れです。二人の関係がどの程度進展しているのか、また語りの焦点がどのように移り変わっているのかを意識する必要があります。
例えば、1~8節においては、男性はおもに女性の外見の美しさを褒めたたえています。一方、本日の4:9~15節では、その女性の美しさが、男性に与える影響に力点が置かれています。雅歌の男女は、さまざまな角度から相手のすばらしさを語っていますので、展開をつかみながら、その豊かさに触れて行くのです。
もう一つ大切なことは、ことばの意図を汲み取ることです。これは、聖書のどこを読むときにも心掛けなくてはならないことです。雅歌に記されているような詩を読む時には、特に求められるものです。と申しますのも雅歌のような恋歌には、比喩や象徴が多用されるものだからです。
たとえば9,10節において、男性は女性に「わが妹(私の妹)」と呼びかけていますが、決して肉親に呼びかけているわけではありません。この「妹」は、あくまで女性との親密さを表すための表現なのです。また、13,14節では、女性の「生み出すもの」として、「ナルド」「サフラン」などの香料が挙げられています。これらは、必ずしも女性が実際にまとっていた香りを説明するものではありません。ナルドやサフランなどは、輸入しなければ手に入らない非常に高価な代物でしたが、女性の放つにおいがそれらに匹敵するほど、価値があり、心地良いと、この男性は語りたいのです。
ただ、このような原則を踏まえる以上に大事なことは、光景を思い描きながら、詩そのものを味わうことです。雅歌に登場する二人は、ありきたりな定型句を送り合うだけでは満足しませんでした。むしろ、様々ものを引き合いに出しながら、心を奪われた相手のことを賞賛しています。その豊富な賛辞のレパートリーに浸る時に、私たちも愛の原語について学ぶことができるのではないでしょうか。
また、彼らのやりとりから、神さまの思いを汲み取ることもできるでしょう。男性は、女性のことを「閉じた園(庭)」(12節)と語り、自分にだけ開かれる特別な(ある意味排他的な)関わりを求めました。同様の願いを、神さまは、私たちに抱いて下さっているのです。
祈りましょう。
神さま
雅歌の詩を、じっくり味わえるようにしてください。頭を働かせ、思いを傾け、五感を活用することができるように。そのようにして、愛に触れ、愛を知り、愛を学ぶことができますように。 御子イエス・キリストのみ名によって祈ります。 アーメン
参考
〇コフェル 夏に開花する常緑の灌木。コフェルは、言語学的にヘナのこととされる。葉は、粉末にして髪や身体を染めるのに利用される。
〇シナモン 何種類かの樹木の内樹皮。ニッケイ属 肉桂(にっけい)香辛料。